17歳バトン 2006年2月2日 [17歳バトン]
17歳バトン
17歳バトンとは、
2005年頃に、ライブドアーブログで流行っていたものなのです。
どういうものかと言うと。
17歳の時の出来事を書くんです。
これはかなり面白いです。
17歳の時こんなことをして、
こんなことを考えていたんだと思い起こさせてくれます。
今ある自分が映しだされています。
以下の文章は、
2006年2月2日にライブドアの私のブログに投稿したものです。
今日はですね。
けこぴさんから17歳バトンを頂きましたのでこれを書きたいと思います。
17歳と言うと高校3年生の時ですよね。
これを書くにはまず
小学・中学の時から話さないと17歳の時の私の心境は理解できないと思うのです。
小学校からずっと野球少年でした。
小6の時、身長が165㎝、体重が64㌔ありスポーツ万能でした。
野球、陸上、柔道、相撲何でもござれの少年でした。
将来は長嶋選手のようになりたいと野球に励んでいました。
しかし中2の時に内臓を壊したのです。
ここから転落の一途。
そして中3の3学期は半分欠席、勉強した記憶が全くありません。
高校は行かずに何か手に職をつけようと自分は考えていました。
しかし、親も先生も高校に行くようにと言うもので、いやいや高校を受験したんです。
1人では受験会場に行くことも出来ないほどの少年で、母親がついてきてくれました。
そして受験した高校が私を拾ってくれたのです。
それは私立本郷高校です。
私が通っていた中学は都内でも有数の有名校で生徒の半数以上が越境入学の生徒でした。
その中でもまれたせいでしょうか。
中学の成績はドンビリでも何とか高校には入れました。
そして野球がやりたくて、直ぐに野球部に入りました。
しかし練習のたびに倒れ母親が迎えに来ました。
そして母親と顧問の先生と相談の末、野球部を1ヶ月弱で辞めることになったのです。
それからまた毎日が病気との闘いでした。
そして17歳受験の年になったのです。
続きを読む前にクリックお願いします。
ここから本題がはじまります。
Q1■17歳の頃何してた?
毎日、学校に通うだけで精一杯でした。
私の家から本郷高校までは25分ほどで行くことが出来ました。
途中、池袋で乗り換えです。
唯一の楽しみは学校帰りに池袋駅のホームのベンチに座って人を見ていることでした。
そして
何で私だけがこんなことになるのか、人は色々な方向に歩いているのに、私には選択することさえ出来ないと、行きかう人を見ながら考えていました。
Q2■17歳の頃何を考えていた?
宗教とは何ぞや、
三島由紀夫の陽明学などを勉強して、人間の生き方や美学とは何かを考えはじめていました。
Q3■17歳でやり残した事は?
学校の勉強をしてなかったので、もう少し勉強しておけばと思いました。
(出来る状態ではなかったのかもしれませんが。)
このことが今思うと残念です。
Q4■17歳に戻るとしたら何をやりたい?
もう17歳には戻りたくありません。
良い思い出がないのです。
小学校、中学1年と自分の良い時の思い出が強くて、
高校の時はあの時の自分だったら負けないのに、といつも現実に負けていたんです。
もう戻りたくないです。
Q5■17歳に戻っていただく方、5人
17歳バトンを書いてみたい方、いらっしゃいましたら手を上げてください。
17歳バトンを書かせていただいた、けこぴさんには感謝しています。
楽しい思い出を再発見する事が出来ました。
書きながら亡き母親、父親が私の前に現れてくれました。
とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
有り難うございます。
私の思い出話になってしまったことで
不快な思いを感じる方がいらしたら申し訳ありません。
お許し下さい。
17歳バトンとは、
2005年頃に、ライブドアーブログで流行っていたものなのです。
どういうものかと言うと。
17歳の時の出来事を書くんです。
これはかなり面白いです。
17歳の時こんなことをして、
こんなことを考えていたんだと思い起こさせてくれます。
今ある自分が映しだされています。
以下の文章は、
2006年2月2日にライブドアの私のブログに投稿したものです。
今日はですね。
けこぴさんから17歳バトンを頂きましたのでこれを書きたいと思います。
17歳と言うと高校3年生の時ですよね。
これを書くにはまず
小学・中学の時から話さないと17歳の時の私の心境は理解できないと思うのです。
小学校からずっと野球少年でした。
小6の時、身長が165㎝、体重が64㌔ありスポーツ万能でした。
野球、陸上、柔道、相撲何でもござれの少年でした。
将来は長嶋選手のようになりたいと野球に励んでいました。
しかし中2の時に内臓を壊したのです。
ここから転落の一途。
そして中3の3学期は半分欠席、勉強した記憶が全くありません。
高校は行かずに何か手に職をつけようと自分は考えていました。
しかし、親も先生も高校に行くようにと言うもので、いやいや高校を受験したんです。
1人では受験会場に行くことも出来ないほどの少年で、母親がついてきてくれました。
そして受験した高校が私を拾ってくれたのです。
それは私立本郷高校です。
私が通っていた中学は都内でも有数の有名校で生徒の半数以上が越境入学の生徒でした。
その中でもまれたせいでしょうか。
中学の成績はドンビリでも何とか高校には入れました。
そして野球がやりたくて、直ぐに野球部に入りました。
しかし練習のたびに倒れ母親が迎えに来ました。
そして母親と顧問の先生と相談の末、野球部を1ヶ月弱で辞めることになったのです。
それからまた毎日が病気との闘いでした。
そして17歳受験の年になったのです。
続きを読む前にクリックお願いします。
ここから本題がはじまります。
Q1■17歳の頃何してた?
毎日、学校に通うだけで精一杯でした。
私の家から本郷高校までは25分ほどで行くことが出来ました。
途中、池袋で乗り換えです。
唯一の楽しみは学校帰りに池袋駅のホームのベンチに座って人を見ていることでした。
そして
何で私だけがこんなことになるのか、人は色々な方向に歩いているのに、私には選択することさえ出来ないと、行きかう人を見ながら考えていました。
Q2■17歳の頃何を考えていた?
宗教とは何ぞや、
三島由紀夫の陽明学などを勉強して、人間の生き方や美学とは何かを考えはじめていました。
Q3■17歳でやり残した事は?
学校の勉強をしてなかったので、もう少し勉強しておけばと思いました。
(出来る状態ではなかったのかもしれませんが。)
このことが今思うと残念です。
Q4■17歳に戻るとしたら何をやりたい?
もう17歳には戻りたくありません。
良い思い出がないのです。
小学校、中学1年と自分の良い時の思い出が強くて、
高校の時はあの時の自分だったら負けないのに、といつも現実に負けていたんです。
もう戻りたくないです。
Q5■17歳に戻っていただく方、5人
17歳バトンを書いてみたい方、いらっしゃいましたら手を上げてください。
17歳バトンを書かせていただいた、けこぴさんには感謝しています。
楽しい思い出を再発見する事が出来ました。
書きながら亡き母親、父親が私の前に現れてくれました。
とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
有り難うございます。
私の思い出話になってしまったことで
不快な思いを感じる方がいらしたら申し訳ありません。
お許し下さい。
2013-11-28 10:02
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