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私のこと [プロフィール]

・名前 : 野田正美

・住んでいる所 : 東京都練馬区

・性格 : 心配性、神経質、頑固、人を信じやすい、涙もろい

・これまでの生い立ち : 昭和24年1月15日に長崎県で生まれる。

3歳で新宿区の成小坂、次に横浜市鶴見区矢向、

そして5歳の時、昭和29年12月に練馬区栄町に転居。
そこで父親がお茶屋さんを始める。
かれこれ栄町に住んで59年になります。

幼稚園には行きませんでした。
小学校、中学校は地元の開三小、開三中に進みました。
野球漬けの毎日でした。

中学1年の3学期に内臓をやられ、中学3年の3学期は、
内臓の悪化で登校拒否、今思うとうつ病になっていたなと思います。

高校を行かず、手に職を持とうと真剣に考えていましたが、
親の説得で高校受験をしました。

めでたく本郷高校に入学。

この頃はもう内臓も大丈夫と医師からは言われていたのですが、
水を飲むと下痢をしてました。

そのためか、小学校卒業時に64㌔あった体重が51㌔になっていました。

高校に入って何とか野球をやりたいと思い、親の反対を押し切って
入部しました。

しかし、毎日の階段上りやランニングをするたびに倒れました。

その度に母親が私を迎えに学校に来ました。

それでも1ヶ月は野球を続けましたが、野球部の部長からその体では無理だと言われ、
部長が親と相談した結果、退部ということになりました。

それからは、毎日学校が終わると、池袋駅のベンチ座り、電車から降りてくる人を見ながら、
何で人は生きなければいけないのか?

病気の人間は、税金を使うだけの価値があるのだろうか?
人様にそれだけでも迷惑をかけているのに、のうのうと生きていていいのだろうか?
色々なことが頭をよぎりました。

3年間はあっという間に過ぎてしまいました。

これからどうしようか?

父親が大学行って友達を作れと言ってくれました。

それまでの私は、人生に絶望していたので、
人と話はしても打ち解けなかったと思います。

大学は日大が拾ってくれました。

大学でもやはりなかなか友達と馴染めませんでした。

その頃学園闘争の真っ只中でした。私もヘルメットかぶりました。
新宿西口でフォークを歌いました。
日大闘争で機動隊に追っかけられました。
凄い時代を経験できました。

そして卒業、
親のレールにまた乗ってしまいました。

アメ横の三香園に入社。

1年半店売りに開け暮れました。

大学4年の時から三香園でアルバイトをさせられていました。
その時に、アルバイト仲間から世の中の悪いところや良いところを
教えてもらいました。

目覚めたというのでしょうか?

そこで私の妻になる、典子さんと出会いました。
私が23歳、彼女が19歳です。
http://ameblo.jp/yakankun15/

27歳の時に社長と喧嘩して会社を止める。
喧嘩には色々な事情がありました。

その当時、母親がガンになる。
3年間母親の介護をする。

毎日、新宿区四ツ谷の林外科で点滴を打つ母親の送り迎えをする。

昭和54年10月16日、57才で母が亡くなる。

その後、私は父親の店を手伝いながら、自転車にお茶を積んで引き売をする。
しかし、父親と意見が合わず店を止める。

32歳から35歳まで中井運送に就職する。

しかし、税込20万の給料では、二人の娘に大学に入れることができないと考え退社。

その期間、何度も前の会社「三香園」の社長が家に来て、
父親にもう一度会社に戻るようにと頼んでいたそうです。

その事を聞かされ、私は納得して、会社に戻ることに。

今度は店ではなく、三香園卸部の外商部に配属された。

3年間の営業を経て、商品管理と買掛の担当を任される。
そして40歳で課長に、42歳で取締役の部長になる。
生活は安定して、幸せを感じていました。


平成10年6月、父親の店、閉店する。
6月以前から父親がアルツハイマーになっていたようなのです。
私は気が付きませんでした。

http://ameblo.jp/kazoku5nin/



49歳の平成10年の8月20日に会社の倉庫で荷物が首に当たり救急車で病院に運ばれる。

1週間で医師の反対を押切り、退院する。
(自分がいないと会社が回らないと思っていました。)
しかし、会社の階段も登れない状態でした。


それから頚椎損傷との戦いがはじまりました。


事故から4ヶ月後の12月に私の1年後輩の専務が(社長の息子)家に来て、
会社に出てきたら今まで通りには仕事ができないだろうから、30万でやってくれないかと話を持ってきた。
休んでいる時も月給80万は悪いなとは思っていましたが、30万はないだろう!!

会社の考えがそうならばと、その場で会社を辞めることに!!

側に典子さんがいるのに、私は何でも簡単に一人で決めます。
しかしこれから大変なことが次々と起こることも知らずにです。


毎日、午前中は寝て、午後から椅子に腰掛ける生活の始まりです。
9月、10月、11月、12月位までかもしれません。

平成11年に入るとうつ病も併発。



頚椎損傷から数年経ってから、知り合いの社長から探偵の学校を一緒にやろうと話があり
300万を出資する。

10年以上経ちますが出したお金は返ってきません。

今も時々社長から電話があり、会って話をします。
しかし本人はお金を返す気が全くありません。

いい勉強をしたと思い、取立てはしません。
返す気があれば返ってくるでしょうから。


そして犬の散歩や移動車でのピザ売りとか、便利屋まで色々と経験しました。




いつだったか平成16年か17年だったか、小学校の時の友人がPCを持ってきてくれました。


毎日何もしないのは退屈だろうからと持ってきてくれたんです。

何もわからないままでは嫌なので、PCの本を買ってHTMLを覚えて、
こんなのを作りました。
http://yorokan.net/saisyun/


父親が平成17年12月9日に亡くなる。
まる6年間私と妻の典子さんと2人で父親の介護をしました。

父親を介護したおかげでうつ病も頚椎損傷も、
早く克服できたのではないかと思います。
http://ameblo.jp/kazoku5nin/



平成22年9月に典子さんが余命三ヶ月のガンの宣告を受ける。

平成24年1月2日亡くなるまで、充実した楽しい看護ができました。

典子さんが「一緒になって良かった」「ありがとう 幸せな一生だった」と言ってくれたことがとても嬉しい思い出です。

典子さんの闘病生活のブログです。
http://angelfromgod.blog.fc2.com/

私が毎日書いている日記をそのままブログに書いています。
ブログを途中までで書くのをやめました。
思い出して悲しくなるので!

また書き始める時がきっと来ると思います。


典子さんの日記ブログです。
18歳から23歳までのものです。
http://ameblo.jp/yakankun15/
このブログも半分しか書いていません。
書く気はあるのですが、まだ気が重いです。




長くなってしまいました。
まだまだいろいろ書く事はありますが、
もう止めます。


ここまで読んでいただきありがとうございました。





タグ:私の履歴書
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